映画を見ることはこの世で一番エネルギーが必要な行為で
あると、いつもいつも思っている。
だから、適当に空いた時間で見るということがどうしてもできない。
映画館に映画を見に行くときは、それがゼミとかの関係で見なければならないよっぽど興味ない映画であるとき以外には、前後にどんな用事があっても、映画を見ることがメインになってしまう。
「映画を見る時間」をわざわざつくらないと、どうしても見ることができない。
そんなわけで、その中でも特にエネルギーが必要そうな映画は後回しになる。
その最たる例が、私にとっては『愛のむきだし』。
30分の短編映画にすら時間とエネルギーが必要なので、トータルで4時間近くもある映画なんてとても見る気にはなれない。
でもすごい映画で、見てよかったなあと思う。
膨大なエネルギーと時間を費やして、映画を見るだけで一日が終わるのも悪くない。
察している人は察している理由で苦笑、
「愛ってなんだろう」みたいな馬鹿馬鹿しいけど重ったるいことを最近考えるので、
あくまでも解釈の一つだけど、その答えの一つがこの映画の中にはあるかも?と思ったのが、無理矢理に時間をつくって見た理由。
4時間近くある映画だし、監督が監督(園子音)だから、この映画の中で描かれてる「愛」も、人それぞれ本当に解釈が違うんだろうけど。
相手を自分の世界に引きずり込むためにはどんな苦労も手段も犠牲も厭わない
ことが愛なのかな、と。
だからきっとものすごく歪んでいるけれど、コイケさんのそれも愛で、
愛以外の何物でもなくって。
私は正直あんなに一人を思い続けられるコイケさんが羨ましい笑。
その観点からいくと、私は本当に今まで誰ひとりとして愛せたことがないなーとか。
新興宗教というのも映画のテーマとしてあったけれど、
新興宗教は怖いとか、洗脳の手順はどうだとか、そんなちゃっちいことは、この映画の中ではどうでもいいこと。
誰がどう見てもまともな世界なんてものは存在するはずがなくて、
だからこそ、自分がどの世界を信じるか?ということが一番大切。
誰のつくった世界を信じるか?
誰に自分のいる世界を信じてもらいたいか?来てもらいたいか?
そんな象徴として、新興宗教団体が大きく取り上げられていたのだと思う。
最近は割と映画では当たりを引くことが多くて、
人以上に映画を見ることにエネルギーのいる映画好きとしては、
なんとか限られたエネルギーで自分にとって大切だと思える映画を見れたらいいな。
大切な映画が一つ増えて良かったです。