てんてんについて / その他雑記
半年以上ぶりに見たてんてんは、やっぱりてんてんでしかなかった。
最後の最後の青空ギロチンのサビ、
満身創痍、髪も顔も汗でぐちゃぐちゃぼろぼろ、声が出なくてマイクも持たない、
普通ならこんなボーカル、こんなヴィジュアル系バンドマン最低すぎるだろ。
でもそのあまりのボロボロさが、今にもこの人は倒れて死んでしまうのではないかと思わせる姿が、そんな人が処刑の瞬間を待つように両腕を拡げる姿が、あまりにも痛々しくて美しかった。
これが、私の見たかったてんてんだった。
灰色の森に、「ねえ誰よりも綺麗でしょう?誰よりも壊れてるでしょう?」
なんて歌詞があるけれど、てんてんはきっと、未だに自分に金を払って足を運ぶ人間が何を見たいと思っているのかをよくよく理解しているのだろうと思う。
そして、それを見せられるのが自分だけで、自分にはそれしか見せられないということも。
バンドマンは不器用な方が美しい。
もう本当に自分にはステージしかない、音楽しかない、バンドマンという道しかない、そうやって追いつめられた人間が発揮するパワーにはものすごいものがある。
だからバンドマンには不器用でいてほしい、不器用なバンドマンが好きだ、といつも思う。
一般社会では到底生きていけないような、だからこそステージにしがみつくてんてんの不器用さが好きだ。泣いてしまいそうになるくらい好きだ。
だって、I HATE SUNDAYの歌詞、「ずっと夢見てたから戻れなくてもいいのさ 僕の手を離さないでね」だよ。
私は決していいファンじゃないし、必死なバンギャルでもない。
そのどちらにもなれなかった。
本当にてんてんを好きな人から見たら、こんな記事を書いてることすら疎まれてしまうだろう。そのくらい、私がてんてんに注いできた愛情は小さくて、幼くて、独りよがりなものだった。きっとそれはこれからも。
それでも、私にとっては人生の中で一番特別。
それは、今以上に生きることに何の楽しみも価値も見出せなくて、無気力で、何もしたくなくて死ぬことを本気で考えていた私に、
苦しみながらも必死に生きている人間の姿を、初めて見せてくれた人だから。
不様で、みっともなくて、ボロボロで、今にも死にそうで、それでも必死に生きようとする人の美しさを、初めて教えてくれた人だから。
こんな人がこの世にいて、お金を払って足を運べばそれを見れるのならば、もう少しだけ生きていてもいいかもしれない、と。
「サブが俺の歌を好きって言ってくれたから」と涙目で話すてんてんを見ながら、
約5年前、そう思ったことを少しだけ思い出した。
2010年、10月14日 Stand by Me
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5年前といえば、そう、あの人が亡くなった日ですね。
私がてんてんを見ることになったきっかけは、紛れもなく5年前の今日でした。
そうじゃなくても、てんてんの音楽を聴いてみようと思ったきっかけも、紛れもなく5年前の今日でした。
もし何かが少しだけ違っていれば、私はきっと一生てんてんを見ることもなかったかもしれない。
そもそもライブハウスに足を運ぶことすらなかったかもしれない。
一度も見ることのなかったバンドマンについて語るのは気が引ける。
だからどういうところがどう好きだとかは、滅多に口にしないようにしてるけれど。
ただ5年経った今、私を取り巻いているものは全部あの人のおかげで、あの人のせいなんじゃないかと本気で思ってしまうほど、あの人に結ばれた縁だとか、あの人がいなかったら絶対に知り合ってなかった人とか、あの人を愛している人たちが周りにいる。
おこがましいけれど、この5年間、あの人の音楽に生かされてきたんだと思う。
私がてんてんの誕生日を来年も再来年もずっと祝いたいと考えているのは、
てんてんが好きだからというだけではなく(勿論それが一番大きいですが)、
あの人が見ることのできなかったてんてんを見ることができる、
あの人が祝うことのできなかったてんてんの誕生日を祝うことができる、
そのことに、私自身が今生きている意義や価値を見出してしまっているから。
代わりになることは絶対できないけれど、誰よりもてんてんを愛していたあの人が見れなかったてんてんの最期を看取りたい。
それが一人でも客が多い方が輝きを増すてんてんにも、
未だに私に素敵な縁を取り持ってくれているあの人にも、
私ができるただ一つの恩返しというか、感謝の示し方なんじゃないかなー、と。
まあ結局はただの自己満足でしかないんだけど。
今年の夏は暑いから早く終わってほしいなあ
2015/06/28 特別限定復活公演 「Fatimaは二度死ぬ ~裸の刃物(ナイフ)を持つ男 2½~」 @渋谷TSUTAYA O-EAST
極彩色夢絵空事。
この瞬間こそが全て。
まさにその表現が似つかわしいライブだったと思う。
見た瞬間に笑ってしまうほど大きいミラーボールとか、
ただでさえ待ち時間が長いのに押してる開演時間とか、
人がいっぱいで始まる前から酸欠になりそうなフロアの空気とか、
そもそも久しぶりに来たヴィジュアル系の現場に対する戸惑いとか、
気になるところはいくらでもあったのに、ステージにぱっと明かりがついてSEが流れた瞬間に全てがどうでもよくなってしまった。
定番の形でメンバーが一人一人登場した後に、Mizuhaさんの爪弾くよく知ったフレーズが聞こえて、すぐ目の前には何度も夢に見たKanomaがいて、何を考えたわけでもなく涙が止まらなくなった。
一度も見たことがないはずのFatimaというバンドが、自分にとっていかに大きい存在かを思い知らされた瞬間だった。
ライブの内容は正直よく覚えてないし、はなからレポなら他の記憶力のいい人のツイートなりブログなりをさかのぼればいいやと思って、記憶する気すらなかった。
Fatimaは、ダウナーさんたちはずっと憧れの存在で、憧れのゼロ年代V系の象徴でもあって、そんなバンドを2015年の今、20代の私が見ているということについての興奮と感動で胸がいっぱいだった。
それ以上に、自分が20代であることすら忘れていた。
あんなに身体が軽くて、ときめきが止まらなくて、無条件な楽しさは、16~18の頃に盲目的にHitomiを信じていた頃のものと全く同質のものだった。
ただ、そこにいたのはHitomiではなくKanomaだった。
孤独と情欲を具現化させた存在。
ギラギラと光り欲情に濡れ、人の心を射抜く鋭さを持ちながら、そのすぐ背後に深い陰を宿し、切実なまでの寂しさを湛えるKanomaの瞳だった。
決して満たされることがないのを知りながら、それを得られる一瞬だけに全てを捧げる、ステージの上でしか生きられない魔物。
初めて見たはずなのに酷く懐かしくて、酷く愛おしかった。
「10年経ったのに全然気持ちが老けてない!大人になったことを放棄したからね!
みんなも大人になることを、大人であることを放棄したらいいよ。まあでもそれだと生活ができないから、たまに、少なくとも月に一回くらい、そうしたらいいんじゃないかな。でも、こちら側に近づきすぎたらいけないよ」
Star Spangled Butterflyは、本当にStar Spangled Butterflyって感じだった笑。
よくも悪くも距離の近すぎる今のV系シーンに染まってるバンギャルちゃんたちには、きっとわからない曲だと思うのです、これは。
ゼロ年代の世相を反映した曲だというべきか(とか言ってる私はゼロ年代にバンギャルできなかった人間だけど)。
Blue Velvetで紫色の照明を浴びたKanomaはとても綺麗だった。
哀愁の底辺のリフ、無条件でかわいらしいフリをするKanomaはかわいらしかったな。道化って言葉がよく似合う風体で。
紫陽花の前に、
「最近は紫陽花を見ると、少し嬉しいような、懐かしいような、誇らしいような気分になるんだ。きっとこれからもずっとそうだと信じているよ」と、ほんの少しだけ照れくさそうにはにかんだ笑みが何故か脳裏に焼き付いている。
過激なプライベートダンサーを呼んだとかなんとか言って現れたのがガチムチ系の男性だったのには少々面食らったけど笑。
ああ、あとLay様がKanomaの乳首をべろりと舐めた後にディープキスしたのにも面食らってしまったなあ。
かと思ったら、「無知な命へ」の夕暮れの色はとてもあたたかくて物憂げで綺麗だったし、「紬糸」の演奏と歌にはぐっと引き込まれて感極まるものがあった。
まあ、紬糸ってくっついたり別れたりを繰りかえすメンヘラカップルの曲だよなーとかしょうもないことを考えてもいたわけですが。
アンコールでメンバーが出てきた瞬間にステージに下着が何着も投げ込まれ、それを手にとってじっと見つめるLay様と、
「絶頂になったら下着でも投げればいいんじゃないとは言ったけど、今?アンコールでメンバーが出てきた瞬間?そういうことか?」と笑うKanomaと。
なんかライブはじめからくたびれた様子のTowaとか、
肩に変な可愛い生き物を乗せてるけど、自分自身が変な可愛い生き物みたいな4geさんとか、
二回目のアンコールのときに両耳に手を当てて、自分を呼ぶ声を求めるMizuhaさんの姿とか、
ああそういえば、ドSな視線でフロアを見下していたLay様が、ダウナーの狂いっぷりに満足して、少しだけ口をゆがめて目を細めた顔がとても素敵だった。
断片的に覚えてる記憶を書きだそうとすればするほど支離滅裂になっていく。
それで良い。だって本当にしっちゃかめっちゃか支離滅裂なライブだったのだから。
水を噴いた後に、子供らしくいひひと笑うMizuhaさんを見て、ああこの人が現役のバンドマンで私が現役のバンギャルだったらきっと、なんてことも思っていた。
「今この身体を突き動かすのは衝動だけ。だから俺はどんどんお前の知らない俺になるだろう。でも、お前が本当に見たいものは、それだろう? だから俺にも見せてくれよ、お前の」
頭に違和感があって、目の前を転がっていく人の形を見て、「これが本物のコロダイ!!!」と思った直後、転がってきた人の大体の体重が頭にかかって首の骨が折れることを人生初めて覚悟した。生命の危機である。
Kanomaがダイブしてきて雪崩こんだときとか、水分を持ち込んでないから脱水状態一歩手前だったこととか、まあまあそれ以外にも生命の危機を感じる瞬間はあったんだけど、そんなのも全部アドレナリンに変換されてしまうくらい気が狂っていた。
トリプルアンコールのキャンストは本当に本当に気が狂っていて楽しくて楽しくて仕方がなかった。
10年前と同じバージョンのLove Me
「慰めが欲しかった 求めていた 他に何もいらないほど」
あっそうか、人見晋平という存在は私にとって、そう思えた唯一の慰みものだったのだ、と、初めて気が付いた。今更気が付いた。
そういえば、静む体温もよかったな。
あれはKanomaだけではなく、人見晋平を象徴している曲だと思っている。
「俺はミラーボールになりたいんだ」
とにかく目に見えるもの全てが色鮮やかだった。
バンギャルとして初めてライブに行ってから4年半、私がずっと探していた見たかった景色の一つはこれだったのだと、はっきり断言することができる。
そして、もうヴィジュアル系に対して求めるものは見尽くせたということも。
まあ平たく言えば、我がバンギャル人生に悔いなし(但し生まれた時代を間違えたことは除く)、かな。
それでも、きっと私が一度も見ることのできなかったはずの、一番見たかったものを、このタイミングで見れたということには感謝しかありません。
本当にありがとう。一生忘れません。愛しています。
それでも世界が続くなら「僕は透明になりたかった」
「うるさい、だまれ、死ね」 叫ぶ自分の声で目が覚めた。
驚いた。すぐになかったことにしようとして、でもなかったことにはできなくて、ヘッドホンを着けて大音量でこのアルバムを流した。
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それでも世界が続くなら「晴れた日の教室」 - YouTube
誰にでも、殺したい人間が一人や二人いて当然なのかもしれません。
それでも、多くの人はその感情を表に出すことはしません。
「何があっても人を殺してはならない」という徹底した道徳教育が、しっかり息づいているためでしょうか。
そんな感情を抱いてしまう自分のことを一番殺したいからかもしれません。
外に出せずに、自分の中に積もり積もってしまった黒くどろどろしたもの。
それが臨界点に達しそうになるとき、代わりに殺してくれる音楽があります。
「それでも世界が続くなら」という長い名前のバンド。
メンバーさんが実質的な1stのような作品だと言う「僕は透明になりたかった」は、今まで出た作品でもっともその力が強い一枚です。
強い薬には副作用があります。
復讐心や殺意やどろどろとした黒いものを原動力に生まれたこのアルバムは、きっと沢山の人を傷つけてしまいます。
だから、私にとって一番大切な一枚でも、人にすすめることはできません。
殺したい人がいて、そんな自分をゆるせないから必死で抑え込もうとして、それすらもうまくできない自分を殺したくなってしまう
そんな人にだけ、そっと。
ずっと大切にします。
弱くて何もできない私の代わりに、殺してくれてありがとう。
好きなライブハウスについて
ライブを見るにあたって、ライブハウスという環境はとても重要。
極端な例ですが、私なんかは、行きたいイベントでも苦手なライブハウスだから行かないなんてことをよくする人間なので、ライブに行き慣れてる人であれば、それぞれに好きな・苦手なライブハウスがあることでしょう。
特にどこが人気とかいうよりは、それぞれの価値観によって好きなところが全然異なってくるのが面白いなー、と。
なにかの話のタネにしたら面白い話題なのでまずは自分から、ということで、
以下、勝手に私が好きなライブハウスとその理由について羅列します。
行く規模が基本的にキャパ200~400なので偏ってます。
下北沢MOSAiC
一番好きなライブハウスのひとつです。
とにかく内装が白い。ステージも壁も幕も徹底して白い。
店内に入りバースペースを下り初めてホールに足を踏み入れたときは、その白さの徹底ぶりに思わず呆気にとられ、あたりを見回してしまいました。
真っ白なので、照明が映えて綺麗。
青や赤の光が綺麗な一方で、白い壁にバンドの色が包み隠さず投影されてしまう恐ろしい箱でもあったりなかったり。
ミラーボールもあって幻想的な空間であるにも関わらず、誤魔化しが聞かないところが好き。好きなバンドにはどうしてもやってほしい箱だと常々言ってますが、自分がバンドマンだったらここには立ちたくないなあ。
内装や照明だけでなく、200キャパのライブハウスの中では音もとても綺麗。
下北沢なのでもちろんギターロックバンドばかりがスケジュール欄にいますが、個人的にはヴィジュアル系バンドこそが一番ここでやってほしい。
高田馬場AREA
いわずとしれたヴィジュアル系の聖地。
なんだかんだでやっぱり一番見やすい。フロアの段差が大きいのと、柵がちゃんとしっかりあるのが元映画館だなあって感じ。
終演後に一切ドリンクの交換ができなくても、少々内装がぼろくても、そんなことがどうでもよくなるくらいに思い入れがあって好きな場所。
大切なライブを何度も見たような箱だと自然と愛着が沸きますよね。
きっと多くのバンギャルにとって、とても思い入れのある場所でしょう。
あと、ホールの外に逃げ場が沢山あるのも好き。
ここで見るライブはいつもなぜだかドキドキします。
池袋Black Hole
あんまりバンギャルには良く言われない箱ですが(そうでもなかったらごめん)、
個人的にはとても好き。
モザイクとは対照的に、ホールの内装が徹底して真っ黒。
キャパの割に音は綺麗だし、照明が綺麗で、ミラーボールもあって。
マジパンなイベントで後ろの方だと見にくいですが、埋まり具合がそこそこだったり前の方で見ていたりすれば見やすい。
あと、2年前の話なのでもしかしたら担当さんが変わってしまってるかもしれませんが、当時通ってたバンドについて、ここの照明さんがちゃんと曲を聴いて考えた上で、びっくりするような色を合わせてくださって感動したのは今でも忘れません。
あえてどこのバンドとは言わない笑。
基本的にギラギラした若いバンドとそのお客さんが多いイベントが多いのですが、まあそれも一興かなあ。
あと、ジンライムが美味しい。
渋谷O-EAST
これは全て舞台上の極彩色無絵空事 ってライブが一番できる箱。
キャパは1400とかで大きいけど、どこでもとても見やすいし、凝った演出をいろいろとできる上にそれが本当に非日常に入り込むために機能してくれる箱。
ヴィジュアル系バンドで好きなバンドの最後はできたらここで見たいなあと。
一番最初にライブを見た箱なので、正直思い入れが強すぎるところは...ある......
バースペースが多いから対バンでも居心地がいいなあと思うので、やっぱり逃げ場があることは大事。
ワンマンでは、インディーズのV系バンドの解散ライブや、ある程度の規模のバンドの節目のツアーファイナルが行われがちなところですが、DVDを見ると映像作品として絵になりやすい箱だなあ、とも。
池袋 手刀
で、大トリはここ...笑。
多分、一番足を踏み入れてる箱です。
北池袋の隔離施設~なんてふざけたことを言ってた人がいたけど笑、よくもわるくも本当にその言葉がしっくりくるライブハウスですね。
ラブホテルや風俗店が立ち並ぶ通りにある狭い階段を下っていくと、市松模様の床に濃厚なスモークが焚かれた空間。
いつもではないけどフロアで煙草を吸えるのも好き。
イベントにもよりますが、ヴィジュアル系バンド中心のときは時代に取り残されてしまったかのようなゴシックやロリータファッションのバンギャルさんが必ずいるのも、見ていて楽しいし嬉しい。
初めて足を踏み入れたときは、来てはいけないところに来てしまったようで、ぎょっとして引き返したくなりました。
でも逆に一旦慣れてしまったらここほど落ち着ける箱もないのかなあと。
照明も音響もきつめなのかな...?
ここで聴く轟音と、逆光が大好きです。きっとずっと。
それにしてもなんでカルアミルクが甘くて美味しいんでしょうか、、?
特に大好きなところだけあげたのに気が付いたら長くなってしまった。。
こんな感じで、もしこの記事を読んだ人がいたら好きなライブハウスとその理由について教えてください面白いし、その人の価値観が見えると思うので。
近況報告するほどたいした近況はない
ただただ眠くて、
日々は穏やかで、
やらなければならないことには手をつけられなくて、
人に飲みに誘われると嬉しくて、
好きなバンドのライブが目前に迫っていると嬉しくて、
高校生の頃に読んだ世界一好きな小説を今更買って読み直している。
部屋の中は相変わらず散乱していて、
誰それがくれたものであったり、解散したバンドの音源だったり、
ドキドキしながら見つめていたフライヤーだったり、
そういうものばかり。
いつだって思い出に囲まれて生きている。
それが別段悪いこととも思わない。
ただ日々は穏やかで、
最終的にはなにかがどうにかなってどうにか落ち着くのは目に見えていて、
せかせかと急ぎ足で歩く同級生のことはやはり理解できなくて、
かといってそれとは別方向を歩くわけでもなく、
私は私が決めた私の速度で同じ道の上を少し遅れて進むのだろう。
それは私が道の上を外れる度胸もなければ、
周囲と同じ速度で道を行ける足も持っていないことの証明でもある。
でも、最終的にどこかに落ち着くのなら、
もしくはどんなに努力を重ねてもどこにも落ち着けないのなら、
その程度でいい気もしている。
ヘッドホンを着けて好きな音楽でも聴きながら、適当に歩けばよい。
それでも世界が続くなら 『響かない部屋』
「銃声のない国に生まれただけで幸せなことだから感謝しなさい」
なんて台詞を今まで何度聞いたことがあるだろう。
いじめを受けている人間にとって、そうではなくても弱者として扱われてしまう人間にとって、高校までの教室という閉鎖的な空間は戦場であり、しかも自分は相手に放てる弾の一つすら持っていない市民のようなものである。
一方的に攻撃を受けて、反撃することもせずに、頭を抱えてうずくまるしかない。
自分は弱い人間だから、少数派の人間だから仕方がないと無理矢理諦める。
本当は、本人の苦しみと客観的な苦しみは別次元で考えるべき問題なのに、「銃声がないから日本は平和だ」なんて無神経な言葉を、苦しみの渦中にいる人に悪気なくかけてしまう人が沢山いる。
苦しんでいるときにそんな言葉を浴びせられた経験のある人にとって、まさに今がそうである人にとって、「それでも世界が続くなら」の提示する音楽が、ライブが、音源が、言葉が、MVが、作品は、どれほど大きな救いとなるのだろうか。
私はここまでのいじめこそは受けなかったが、思春期のときにこのバンドに出会えていたら、といつも思う。
自分自身の苦しみを他の誰かの苦しみと比較して語ることは本当に正しいのだろうか(当然逆にも言える)。
そんな疑念を心の奥底に埋めて言葉にすることができないでいる全ての人に、この音楽が知られて届くことを願って。
この作品に関わった全ての人へ、本当に、ありがとうございます。
2015/3/28 映画で見た少女 2マン企画 『讃美歌Vol.1』 @新宿motion
urema
1月末に見てから二回目。
新代田でも聴いた新曲の鏡がとても好きなんですが、この日はなにおりチルクラブを聴けたことが嬉しかったです。あと、さむいさむいこおりのなかも本当に聴きたかったので。
さむいさむいこおりのなか、照明が赤ベースだったのがとても印象的で。タイトル的に、青とか、寒色系の色を持ってくるものだとばかり思い込んでいたので。まあでも実際に見てみたら、この曲には赤の方が逆に似合うのかなあ。
最低限の音しか鳴らない静かな場面と、全身に鳥肌が立つくらいの轟音の場面が繰り返し交互に立ち現われるのが大好きでよく聴く曲なんですが、音源よりもライブの方がその差が大きくて気持ち良かったです。
二回目のMCが終わって、「ありがとうございました」と言われたとき、あああと一曲くらいだから聴けなさそうだなあと一瞬少しがっかりした直後にチルクラブの一音目が鳴ったので、びっくりしたのと嬉しかったのと、ずるいなあと思うのとでぐちゃっとなりました笑。
スリーピースで格好良いバンドというのは、4人体制や5人体制以上に、絶対的に全員が全員とも素敵でなければ成り立たないものですが、特にベースのお兄さんが素敵でした。
長身細身美形の方なので、まあ見た目は勿論好きなんですが笑、それ以上にベースの弦の上を泳ぐ指の動きが綺麗で見とれました。
基本的に、今までそんなに複雑なフレーズを弾くようなベーシストさんを見たことがなかったので(歌うベースなら沢山見てきましたが)、ピアノでも弾くように奏でられるベースの音に心が動きました。
こんなに滑らかで複雑で綺麗なフレーズをベースで出せるものなんだ!!!と。
ツーマンでロングステージだったこともあって、前回よりもどのようなライブをするバンドなのかがわかったような。
スリーピースのギターロックバンドはたいてい格好良いと思ってはいるのですが、その中でもuremaは無駄の無さと絶妙なバランス感覚がとても美しいバンドだと思います。
チルクラブの歌詞に「二人しか知らない恐怖と優しさ」とあるのですが、私の目に映って耳に聞こえたuremaは、このフレーズそのもののバンドでした。
どこか薄ら寒くなるような気味の悪さは、心霊現象的なものではなく、ましてや強大な自然災害や核兵器に対するようなものでもなく、恋人同士の共依存的なやり取りを覗き見してしまったようなものに似ています。または、休み時間から戻ってきて教室に入るとき友人同士の自分に対する陰口を聞いてしまったようなものに。
そんな誰もが心の奥底では知っていて、でも知らないふりをすることで平静を保っている(ふりをしている)もの。
そうした薄気味悪さだからこそ、人の心の隙間にぬるりと入り込んでなかなか消えてはくれない後味の悪さ、そして後味の悪さを超えるなにかが残る音楽なのではないでしょうか。
なんて、こんな気味の悪い感想は二回しかライブを見たことのない人間の戯言として流していただければ幸いです笑。
映画で見た少女
こちらは初めまして。音源聴いたりMV見たりはしていました。
結論から言うと、音源やMVよりもライブの方が圧倒的に良かった。それせかやbaskでも思うことなのですが、やはりこの手の轟音バンドは、ライブ感を音源にしようとするとその良さが半減以上に減ってしまうのでしょう。
それくらい、ライブハウスでの轟音を音源に落とし込むことは難しい(からこそ私はライブハウスに足を運んでいるわけです)。
とはいえライブの方がよっぽどいい、というだけで、音源がイマイチとかいうわけでは全くないです。むしろ音源も好きです。
あまりにも気持ちの良い轟音だったので演奏中の結構な時間すっかり寝てしまっていて申し訳なかった苦笑。
あと、「一番最初につくった曲です」と始まった、アンコールの音楽家がとても素敵でした。
ざっとこんな感じかな。
とても好みで気になっていたバンドを二つまとめてツーマンで見れることになって、発表されたときからずっとそわそわしていました。
結果、期待は裏切られず、というか良い意味であっさり裏切られ、もうだいぶライブハウスから足の遠のいてしまっているけれど、またきっとこの二つのバンドのライブは見に行くだろうなあと思いました。
というか行く予定なんですけどね(耳フェス)。
どちらもライブの方がとても素敵なバンドです。
行って良かったです。ありがとうございました。
~そして新たな沼へ~