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風俗に堕ちて貢がされることも厭わないほど誰かに溺れて、そして野垂れ死にたい

 

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないけど、これは私の夢だった。

どうしようもないホストやバンドマンを好きになって、身体をとことん売りつくして、そしてどうしようもなくなって死んでいく人たちのことが羨ましかった。

 

いつからかわからないけど高校生のときからずっと夢見ていたこと。

今だからこそわかるのだけれど、これが夢だったということは、私はその時点で、自分が誰かを心から愛することができない人間だと気付いていたのだろう。

 

夢「だった」のは、もう私にはそんなことは一生出来ないと諦めがついたから。

というのは嘘で、本当は今でもずっと密かに願っている。

 

誰かを愛する、という感覚がこの歳になっても未だにわからない。

 

私は私にとって都合がよく、私が魅力的に感じる何かを持っており、私が欲しいものを必ずくれる人しか本当に好きになることができないし、運良くそういう人が現れたときにも、少しそれが崩れるだけで、あっという間に崩れ去ってしまう。

これが、人そのものではなく、人が持つ何かしらの要素しか愛せないことの何よりの証明で、それに気付いたとき哀しくて死んでしまいそうなくらい泣いた。

 

ステージの上のバンドマン、の姿はおおかた完璧だろう。

好きなバンドマンならその瞬間だけは愛することができる。

だけどそれはあくまでもステージの上のその瞬間だけの話であって、その裏の姿まですべてを知ってしまったら到底愛することは私にはできないだろう。

そういう意味では、本質的には誰もが同じ。

 

この人だけは全てが好きだから愛することができる、と思った人が、ただ私の気を惹くために完璧な理想像を演じてくれてただけだと知ったときは、ただ哀しくて情けなくてどうしようもなくて三日三晩じゃ足りないくらい泣いても涙にもなりきらなかった。

 

人を本当に愛するということは、この世で一番難しいことだと思う。

それができれば私は救われるのかもしれないし、音楽も、小説も、なにもいらなくなるのかもしれない。

 

そんなことをずっと夢に見ながら、きっと歪んだ自己愛だけを抱きしめて孤独死するんだろうなと、そんな覚悟がようやく最近つきました。

 

 

記事タイトルと最後の文章だけが言いたかった。おしまい。