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2015/09/06 それでも世界が続くなら主催サーキットフェス 「反撃フェスティバルの心の準備の日」@吉祥寺 Planet K  前編

 

 

 

17時40分頃に着くともう会場内には沢山の人が。

ライブハウスの入り口やフロア、スペースがある場所のどこにでも展示作品がある光景は、今まで見たどのライブハウスの光景とも違って不思議でした。

 

 

 

オオタ13月

 

この人のつくる曲たちは寂しがり屋だ。

 

私は弾き語りを見るということがとても苦手なのだけど、この人はやっぱり苦手ではない。みみフェス以来2回目。

言葉とかメロディーが妙に鼓膜に焼き付いて離れないのは、上っ面をなぞるだけの綺麗で着飾った言葉じゃなく、文面がいくら綺麗でもその背後に人間の人間らしい醜さや傲慢さや弱さが滲み出ているから。

 

それで私は少し苦手意識があるのだけど、寂しくなったときにふっと何の気なしに頭に流れてくるのはこの人の歌なので、ただ単に自分にとって痛い部分があるものを避けたいだけなのかもしれない。

 

 

「人に見てもらえる機会というものが無くて。

僕はいじめられてたわけでもないし、いじめてたつもりもないんですけど、教室の隅にいて、いてもいなくてもいいような存在でした。

その反動なのか、すごく自己顕示欲が強くて。僕を見てくれない人に対して、何で僕を見てくれないの?僕を見てくれないなんておかしいんじゃないの?って思ったり。

今思うと、あの人が僕を見てくれないのは僕を見たくないからで、それにどうこう言うのは逆恨みでしかないんですよね。見てもらいたいなら、見てもらえるような僕にならなきゃいけない」

 

と、盲目のアリス前に言っていたのを聞いて、この人はなんて素直な人なんだろう!と笑。

 

バンドマンなんて自己顕示欲の塊ばかりなのに(それが悪いとかではなく)、涼しげな顔して、さも自分はそうではないって顔してる人が多すぎる。

その点この人は本当に自分や音楽に対して正直なんだなあというのと、

言ってることも最もすぎて(勘違いしてるバンドマンにこそ聞いて欲しい言葉だった)、とても好感を抱きました。

 

オオタさんにとっての反撃は、「ロックと非常識をはき違えている人に、それはロックじゃないよと教えてあげること」だそうです。

最後にやった銀の首飾りが良かった。

 

セットリスト

ラビットハット / 曖昧なディア /  世界の終わりと夜明け前 / 盲目のアリス / 銀の首飾り

 

 

 

ネクラポップ

 

「すべてのネクラポップたちへ」

人の優しさや温もりを拒絶する孤独で切実な音楽。

 

孤独といってもオオタさんの曲にあるような寂しさとは全く異なるもので、

オオタさんの曲は寂しさ故に人とめんどくさいことになってしまう人間らしさがあるものだけれど、ネクラポップの孤独は、孤独を孤独としてしっかり受け止めて割り切っている、というか。一種の諦めの境地に達している。 

 

ステージに現れた人はぱっと見、あまりバンドマンには見えない普通のおじさんなのだけれど、ギターを持って歌い出した瞬間にガラっと印象が様変わりして、

往年のロックスターの弾き語りのような風格と音が出てくるので、音だしのときにびっくりしてしまった。

 

「ねえ先生」って始まる曲がすっごく良かった。

最後の走馬灯のような10分間。心地よいギターのノイズの中に紡がれる言葉がただただ痛くて辛かった。

 

 

 

 

KOZUMI

 

熱くてヒリヒリしていて前のめりなエネルギーの塊。真っ赤。

 

だけど決して明るいわけではなくて、身体の中に積もり積もってしまったどうしようもない気持ちが破裂して、決壊した結果がそのまま音楽になってしまったようなバンド。

 

予備知識ゼロのバンドのライブにここまで泣かされたのっていつぶりだろう。

 

「反撃フェス!!後半戦!!KOZUMIです!!」

一瞬耳にしただけで胸がばーっとざわつくような轟音の中、フロアに叫びかける声。

 

”そうだ、私はこういうものを見たくて生きてたんだった!” ということを、うん年ぶりに無理やり引きずり出されて叩き起こされたような衝撃があった。

 

ロックに「エモ」なんて分類があるけれど、真にエモーショナルなバンド。

これは本当にライブ見ないとわからないと思うし、知り合いとか友達の音楽が好きな人たちにすごくすごく見てほしすぎる。

 

「僕たちみたいな人間は、普通の社会人の方が通勤されるときに駅とは違う方向に帰ることなんかもよくあるんですが、白い目で見られるわけですよ。

でも、思っていることがひとつあって、朝は誰にでも平等にやってきます。

人それぞれ苦しいこととか辛いこととかがあって、でも誰にも平等に明日は来ます。

こういう、僕たちみたいな人間にも朝は来ます。

苦しいことがあった日でも、楽しいことがあった日でも平等に明日はやってきます。

だから、辛いことがあったときはまた来てほしい。

俺たちは諦めないでここで頑張るから、また来てください!」

 

文面にすると、バンドマンがよく言う台詞にしか見えないけれど、

実際立ち会ったときの言葉の力強さと説得力が半端なくて、ああこの人はライブを良く〆るためだとか、なんとなく良い言葉を言おうとして言っているのではなくて、

本気でこう思っていて、今これをフロアにいるわたしたちに伝えたくて叫んでいるんだと絶対的に思えたことが本当に大きかった。

 

目の前にある音楽と言葉を、頭で考える前に素直に信じられてしまうということ。

 

その後にやってた「廻る朝」という曲が本当に、どの曲も良かったのだけど一番良くてぼっろぼろに泣いてしまった。

 

同世代の人たちとは思えないほどパワフルでしっかりした演奏だったと同時に、

若くて青臭くて下手に磨かれていないからこそできる荒削りな音楽がそこにはあって、

「今しか生きられない僕らだから」という歌詞が本当にぴったりのバンドだった。

 

音楽を聴き慣れていたり、ライブハウスによく足を運んでいたりする人は、知らないバンドの音を聴いたらまず、「好き」「好きじゃない」で判断する。私も例外ではない。

 でも、「なにこれ?!」という衝撃が先に来て、好きとか嫌いとかそんなことを考える余裕もないままライブが終わってしまった。

 

ただ今この瞬間聴いている音を聴くこと、ステージに立つ演者のアグレッシブな姿を見ることだけに否応なしに全神経を注がされる。

 

ドラムの女の子さんが、ものすごくエネルギッシュなドラムを髪の毛振り乱しながら、

時には心から楽しそうに、時にはなんだか辛そうに叩いてる姿が目にとても印象的に残った。

 

自分にとって反撃とは、ということを語るバンドがこの日はいくつかあったけれど、

KOZUMIにとってはステージに立って音を鳴らすことが反撃なのだろう。

 

私はこういう人たちになりたかった。でもなれなくて、だから憧れていて、

こういう人たちを見たときに、熱や痛みが伝染するように心臓の奥の方が痛くなってしまう現象がただただ好きで、それだけでライブハウスに未だに通い続けているということ、そういうものを見たいというだけで今まで生きてきたということ、

 

ちゃんと無理やり思い出させてくれるバンドに出会えて本当に良かった。

 

CDを買ったときに口ベタが災いして、「今日本当に良かったです」と伝えられなかったので、その代わりに、もしエゴサしてたら読んでいてもらいたいです笑。

 

このバンドに出会えただけで、反撃フェスに行って心から良かったと思いました。

出会わせてくれた全ての縁にありがとう。