新興宗教を立ち上げたい話(信じられるもの論)
なんやかんやいっても、人を最終的に救うのはパンじゃなくて神様だ。
命を繋ぐということと心が救われるということは対極にあるのだから。
人の役に立てる仕事だから、と志望動機を書いたり、
苦しんでる人の助けになりたいといってボランティアしたりする人いるけど、
お前自分のことどんだけたいそうな人間だと思ってるんや、って話である。
というか、そんな即物的な行動に出るくらいなら、
説得力のある言語能力と、優秀なプロデューサー兼マネージャーを従えて悪徳すぎない新興宗教をつくる方がよっぽど生きとし生ける人の役に立てるはずだ。
だって仕事のできる人や慈善精神に満ち満ちている人なんて現実世界にはいくらでもいて、それでも世界はこんなもんなのだから。
それに対して、金や権力に執着しない綻びのない「神様」は本当に少ない。
もしかしたら私の知らないところにいるのかもしれないけれど、だとしたらさっさと教えてもらいたいもの。
というわけで、私の中に再びふつふつと新興宗教団体を立ち上げたい欲が沸いてきた。
まあどうせ明日にはどうでもよくなっているのだろうけど。
とはいえ、自分がそんな神様になれるとは到底思っていないしなりたくもない。
私はプロデューサー的な役割か、所謂「預言者」的なポジションを希求している。
それから、私は人間を神様に据えることはないだろう。
生きている本物の神様がこの世にほぼほぼいないのは、それが人間になしえる役割ではないということだ。
でも、偶像崇拝も好きじゃない。
形のないものを無理やり型に嵌めてありがたがるなんてセンスが無さすぎる。
(この理由で、私は宗教にはまりたかったけどはまることができなかった)
だったら何を神様にするか?ということが早急の問題。
神様は、信じた人を絶対に裏切ることがなく、信じる人が望むときに立ち現われ、心を救ってくれるものでなければならない。
この三つの条件が達成されないのなら、そもそもそれは神様とはいえないし、神様である必要もない。
で、真剣にこの三つを満たすものを考えた結果、
瞬間的な快楽以外にはありえないという結論が出た。
だから、ほんの一時の享楽だけを信じて崇拝して追求するような新興宗教団体を立ち上げたい。
世俗的な価値とか、金や権力、仕事におけるやりがい、家族や恋人の存在などなど、
そんな、得るまでにえらい苦労と時間を要するのに、簡単なことであっという間に崩れてしまうようなものを信じようとするから生きるのが辛くなるわけで。
新興宗教団体であるところの爾雷教は、そんなものが一切の意味を持たない場所にしたい。
各々が各々にとっての瞬間的な快楽を神様として、その崇拝の為にだけは努力を惜しまない。
たとえばセックスに神を感じたり、ドラッグに神を感じたり、はたまたステージに立って多くの人に見られることに神を感じたり。
まあそれは本当に人それぞれだと思うのだけれど、
それだけが絶対的なもので、それだけが信じられるもので、
社会的な地位とか常識とか倫理観とか他人からの目とか法律とか健康とか、そういうものを本当に一切排した世界観で生きることができるなら、
人間はこれ以上になく幸せになることができるはず。
勿論現実問題として、そこまで法律から違反したり非倫理的な活動をいつまでも続けていられるはずがないので、理想を突き詰めると団体として成立しなくなってしまう。
だから、現実にこんな新興宗教団体をつくることができたなら、隠れキリシタンの踏み絵みたいな感じになってしまうかもしれない。
心の中では強くそれだけを信じているけれど、あくまでも世間のスタンダードから外れていないことを振る舞って生きていく。
でもそれも、信じられるものが確固たるものであれば悪くないかなあとも思う。
とにかく、無駄に不確かなものを信じることをやめたいね。
絶対的に自分が信じられるものだけを信じて生きていきたいね。
というわけで、このコンセプトに共感してくれる誰か、私と新興宗教団体を立ち上げよう。
以上、
本日のデトックスでした。