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沼堕ちの瞬間

私が沼堕ちするときは、必ず明確な瞬間がある。

好きに理由はいらないが、沼に瞬間は必要だと思う。
その沼の主にどうしようもなく心を動かされる瞬間。他の人には何でもない瞬間が、誰かにとっては沼堕ちの瞬間。その瞬間について興味がある。
どの瞬間にどの沼に堕ちるか、は、その人の一番本質を表しているに違いない。

とはいえ、過去自分が沼堕ちした瞬間について考えても、何故その瞬間に沼堕ちしたのかは結局憶測でしかわからない。

沼堕ちの瞬間、いつも「あっ」と思う。
記憶している限り、初めてのそれは、今よりずっと幼かった頃。テレビのチャンネルをなんとなく変えていたときに最遊記のアニメのエンディング映像を見たときだった。
悟空の絵が目に入った瞬間に「あっ」と思った。
最遊記で一番好きなのは三蔵と紅孩児様なので、何故その瞬間に「あっ」と思ったのかは、未だに説明が出来ない(尚、それから10年以上経った現在単行本を買い集め始めている模様)。


沼堕ちには様々なパターンがあるが、私のそれはやっぱりライブが一番多い。
歩いてステージに出てきて持ち場に着く瞬間、板付きで幕が開いてからの一音目、逆光に浮かび上がったシルエット、初めて見た笑顔、壁を見てギターを弾く横顔と音色、涙目で真っ直ぐ遠くを見据えて歌う姿、死に物狂いな目、
大体、こんなものかなあ。

私の沼堕ちの瞬間は、案外歌詞や言葉には依拠していないから理由を分析することが難しい。
勿論、好きになるのに理由は必要ないけれど。

沼堕ちの瞬間は、恋に墜ちる瞬間によく似ているなあ、とも。

大きな沼堕ち以外にも、小さい沼堕ちがある。
長くファンが続くのは、大きかれ小さかれ、沼堕ちの瞬間が何度でもあるということ。少し沼からあがりかけた瞬間にまた堕ちる、そんな対象に出会えたらきっと長続きする。

恋といえば聞こえはいいが、沼堕ちの瞬間は一種のドラッグでもある。
頭が真っ白になるようなときめきほど刺激的なものはそうそう転がっていない。
そのドラッグに依存し、刺激を生きるエネルギー源にしている人種もいる。そうそう、私みたいな人間のこと。

というわけで、最近は沼堕ちの瞬間不足で死にそうです。誰か助けてください。